Director: OZU Yasujiro
Writers: James Maki, FUSHIMI Akira
Stars: SAITO Tatsuo, YOSHIKAWA Mitsuko, SUGAWARA Hideo, AOKI Tomio
1932/Japan
★★★★★
1932/Japan
★★★★★
先日、バービカン・センターの映画館にて小津安二郎監督の『生まれてはみたけれど』を活動弁士とピアノの生演奏付きで観てまいりました。
デジタルではなく、東京からやって来たフィルムでの上映で、85年前にこの映画が公開されたときと(ほぼ)同じ体験をすることができたのでした。
ワタクシは知らなかったのですが、映画にナレーションを付ける「活動弁士」というのは日本独特のものだそうで。その理由として、歌舞伎や落語の影響がある、というのは大いに納得。最盛期には1万人(この数字、ちょっとうろ覚え)を超える弁士が活動していて、弁士組合の強固な反対でトーキーの導入がずいぶん遅れたそうな。日本では、今でも10数名の弁士の方が活動しているそうですよ。
この日の弁士の方、春風亭昇太を彷彿とさせる風貌と声で。ナレーションが前面に出ることはなくて、あくまでも黒子に徹している感じでした。そして、アドリブだというピアノ演奏が非常に効果的でありました。
この映画、東京郊外に越してきた小学生の兄弟の目をとおして社会の悲哀のようなものが描かれています。ガキ大将を先頭に年齢の違う男の子たちがわーーっと一緒になって遊んでいるのだけど、新参者の兄弟は虐められるわけです。で、虐められたくないから学校をサボったりするのですが、策略を巡らしてガキ大将を追い落とし、自分たちがトップに君臨します。なのに、子分の父親が自分たちの父親の会社の上司で、いつも家では「勉強して偉くなれよ」と言っている父親が上司に媚びへつらう姿を見て憤慨した兄弟はハンストを決行して…。
この兄弟の動きが一泊遅れのユニゾンのようになっていて、何でもお兄ちゃんの真似をする弟のかわいいこと!
二人一緒になって父親に食ってかかるシーンで、学生の時分にこの映画を観たときには子供たち目線で「お父さん情けない!」なんて思っていたのですが、すっかり大人になった今観ると父親への同情の念が湧いてきます。
子供の世界にも大人の世界にも、それぞれ序列やらなんやらあって、その中で何とかやっていくしかないのよね、というこの映画のメッセージ、なんだか今に通じるものがありますなぁ。
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